【ドリアングレイの肖像】オスカーワイルド
読んだ本くらいちゃんと更新しないと、ブログから大分遠ざかってしまうかもしれない。
ドリアングレイは映画化もされているし、当然大変な有名作品であるが、実は本自体を読んだことはなかった。オスカーワイルドという人物には以前から大変興味があり、その享楽的・審美的な生き方には非常に憧れがあった。私はどうゆうわけか非常に禁欲的な質なので、感性を開放して奔放に生きるということへの憧憬は根強くある。
この本のハイライトは、物語でもドリアンでもなく、ハリーの皮肉地味た、あまりに的確に的を射ている金言の数々であるように思える。
「永遠!恐ろしいことばだ。それを聞くとぞっとする。女が好んで用いたがることばだ。女ときたら、ロマンスというロマンスを長引かせようとして、結局は台無しにしてしまう。だいいち、それは無意味な言葉ではありませんか。きまぐれと一生持続する情熱との違いは、ただ、きまぐれのほうがすこしばかり長続きするということですよ」
「ねえ、きみ、生涯でいちどしか恋をしない人間こそ浅薄なのだ。こういう連中が忠実と呼び、まことと名付けているものを、ぼくは習慣の惰性とか集中力の欠如と呼ぶ。感情生活における忠実さというものは、知性における一貫性と同様に、失敗の告白に過ぎないのだ」
「女性が再婚するのは最初の夫がきらいだったからであり、男性が再婚するのは再遺書の妻が大好きだったからにほからならない」
「女性は欠点ゆえに男を愛するのです。男にも欠点が十分あれば、男のどんなことでも女は許す^男の知性さえ許してくれます。」
「結婚中の男はみな独り者のような生活をし、独り者は残らず結婚した男のような生活をしている」
「男はどの女とでも幸福になれるのだ。その女を愛していない限り」
「わたくしたち女性は耳で愛します、ちょうどあなたがた男性が眼で愛するように」
究極的に真理をついていて、しかもただの逆説だけでは出てこないような何ひねりもされたかのような至言の数々が生まれており、文学の存在意義をまざまざと見せつけられる。
全体として、道徳訓のようにも見えるが、実際は快楽主義に堕ちきれなかったドリアンを責めているようにも思える。